続く妄想「都橋慕情」 

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私は扉を開けると、ゆっくりと店の中に入った。
そこの店主らしきママの「いらっしゃーい」という声
明るい声だが、明らかに私を値踏みするような視線だ。
奥には常連らしき60代とおぼしき男が3名いた。
その6つの視線が、私を貫く。
「ママに何かしたら容赦しねーぞ!」そう言っているようだ。
入った瞬間「失敗した」と思った。
屈強そうな3人の男性、港湾関係者か?
頬にはきつい労働の皺が刻まれている。

気まずい空気が流れる。
私は入口に近いカウンター席に座った。
「何飲みます?」
ママの、相手の人となりを伺うような視線と言葉使い。
私は「先ずビールください!」できるだけ明るく返した。
私は無口ではないが、多弁でもない。
サラリーマンを辞めて5年、愛想の無さには磨きがかかって
いた。
営業を経験していないから、歯の浮くような心にも無い言葉は
言えない。損な性分なのだ。

カウンンター越しにママと言葉を交わす。
ママが知りたいことは解っていた。
私の素性と、何故この店を選んだか?だろう。
私は職業柄、最近この周辺を取材していること。
そしてこの周辺に興味を持ったこと。
そして酒が飲みたかったことを伝えた。
この店を選んだのは、扉のデザインが洒落ていたからだった。
隣のおやじたちが、私の話に聞き耳をたてていたことは間違いない。
何故なら、私が話している時には、彼らの会話は途切れていた
からだった。

しばらくすると隣の男たちのカラオケが始まった。
唄う曲は意外にも演歌ではなく、昭和のフォークソングが中心だった。
私はしばらく黙って聴いており、彼らの唄が終わると拍手を送っていた。
するとしばらくして、彼らのうちの一人が私に「唄ってくれ!」と言う。
こういう時に断ってはならない。
これは酒飲みの不文律だ。
私はすぐに同年代の郷ひろみの曲を選んだ。
バラード曲である。
通常は他の曲で喉慣らししてからこれを選ぶのだが、
今日は特別だ。
私の中では、いきなり3番打者の登場である。
おやじたちは喜んだ。
私はカラオケの選曲には自信がある。
おやじたちとの距離は精神的にも物理的にも縮まった
気がする。
ママも安心した様子だ。
こうなると、しめたものだ。
おやじたちとマイクを奪い合い唄いに唄った。
しまいには、郷ひろみの「ゴールドフィンガー'99」を踊り付き
で唄いまくった。
後から入ってきていた常連も大喜びである。

そうして終電に間に合うよう、私はこの店を後にした。
意外に高かった。
おやじたちはまだ残っている。

聞くと、もう既に息子の代に経営を譲ったこの商店会の
かつての商店主だったのだ。
「あーまた行かなければならない店を作ってしまった・・・」

数日後、同じ店に行くとママは変わらない笑顔で
迎えてくれた。
しかしあのおやじたちの姿は無かった。
2時間待っても3時間待っても現れなかった。
蕎麦屋のおやじも本屋のおやじもストリップ劇場の
おやじも、誰も。
ママに聞くと、ビックリしたように、でも「またか!」という
顔をして言った。
「また来てたのね!あの世で楽しんでりゃいいのに」
あの人たち3年前に後に続くように次々と亡くなったのだという。

そう言えば、あの時ママとおやじたち、一言も会話を交わして
いなかったのだ。


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