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日 時 |
渋谷から横浜に向かって歩いた:三軒茶屋
大山道を越え、やってきました三軒茶屋。
私、ここ最近三軒茶屋に来ていませんでした。
よく本やTVでは、「さんちゃ」の愛称で呼ばれています。
若者や芸能人が集まるお洒落な街に変身しているのであろう、
というイメージでいました。
でもそうでもないですね!?
ディープな雰囲気があるし、まだレトロな建物もかなり
残っていました。
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2012/05/20 09:38 |
渋谷から横浜に向かって歩いた
5月15日、私は四谷荒木町で飲みました。
横浜への帰宅時 酔っていた私は、電車を間違えてしまい、
渋谷に辿り着いて、東横線ホームに向かうと既に終電が
終っていました。
意を決して、国道246を横浜方向に歩いて、始発時間が
きたら その電車に乗ることにしました。
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2012/05/18 23:44 |
本郷 尚美ミュージックカレッジ
春日通りに出て、後楽園方向に向かう途中に
「尚美ミュージックカレッジ」を見つけました。
こういった専門学校もあるのですね!?
最近活躍中、私の好きなFMラジオ放送でよく聴く
「ハナレグミ」も此処の出身のようです。
尚美ミュージックカレッジ
尚美ミュージックカレッジ専門学校(しょうびミュージック
カレッジせんもんがっこう)は、東京都文京区にある音楽・
エンタテイメント分野の専門学校。
創設は1926年、音楽家 赤松直 私塾『尚美音楽院』を
開設したのが始まり。
〔参...
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2012/05/18 09:18 |
本郷 出世稲荷神社
本郷の細い裏路地を歩いたら こんな神社がありました。
出世稲荷といいます。説明板も在りました。
春日局と関係があるようですね!
出世稲荷神社
出世稲荷神社は、文京区本郷にある稲荷神社です。
出世稲荷神社は、当地付近が春日局の屋敷だった時、
邸内鎮守として創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥
の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称される
ようになったといいます。
〔参考:サイト「猫のあしあと」より〕
「この辺昔、春日局宅地なりし時、鎮守のため勧請なり。
春日局・・・出...
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2012/05/17 10:15 |
本郷 徳川忠長と昌清寺
本郷を歩いていると、こんなお寺を見つけました。
あのお江の息子、徳川家光の弟 徳川忠長が眠る昌清寺です。
徳川忠長は兄 家光と骨肉の争いをして非業の死を遂げて
います。
嶺松山 弘願院 昌清寺
浄土宗寺院の昌清寺は、嶺松山弘願院と号します。
元和元年(1615)に徳川忠長(家光の弟)の母お江が、
自害した忠長の菩提を弔うため、忠長の乳母お清の方
(昌清尼)を開基として創建しました。
由緒
当寺は浄土宗嶺松山弘願院昌清寺と称され、元和元年
(1615)の創建である。...
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2012/05/16 11:06 |
本郷の坂道
本郷で見つけた坂道、紹介します。
いずれも文京区教育委員会設置標識の説明です。
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2012/05/15 00:48 |
本郷の歴史と坂道
本郷を歩くと坂道が多いことに気付きます。
此処は遥か昔、本郷台地だったようです。
文京区の歴史
わたしたちの祖先が、現在の文京の地に住み始めたのは、
約1万8,000 年前の旧石器時代と推定されています。
区内で、約1万年以前に始まる縄文時代の遺跡が28 か所
確認されています。
本郷台地の周辺からは、貝塚と縄文土器の破片が数多く
発見されています。
明治17 年(1884)区内の旧弥生町から出土した土器は、
日本考古学史上の大発見で、「弥生式土器」「弥生時代」という...
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2012/05/14 14:20 |
本郷の元町公園
先日、本郷を歩きました。
1ヶ月前にも通った仙台堀沿いの御茶ノ水坂から見えて
気になっていた場所です。
行ってみると公園でした。
入り口には元町公園と書かれた表札があります。
入ってみると、珍しいアール・デコ調の造りです。
階段の中央にはカスケードが設けられています。
気になったので、調べてみました。
文京区 元町公園
文京区本郷にある元町公園は、昭和五年の開園で、
当時の公園設計がほぼそのまま残る唯一の公園で
ある。
昭和57年には、その価値を認めて原型に忠実...
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2012/05/12 23:04 |
お花見 外濠公園の後 赤坂見附跡
清水谷公園や元・赤坂プリンスホテルの前を通った後、
石垣と「赤坂見附跡」の標識が在りました。
ここは以前何度も通ったのに、意識したのは初めてです。
赤坂見附は寛永13年(1636)、筑前福岡藩主黒田忠之
により枡形(ますがた)石垣が作られ、寛永16年(1639)、
御門普請奉行の加藤正直、小川安則によって門が完成した
そうです。
赤坂見附は江戸城の赤坂方向への出入口だであり、門は
明治5年(1872)に撤廃され、現在、石垣の一部が残って
いるとのことです。
赤坂御門
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2012/05/11 22:24 |
お花見 外濠公園の後 元・赤坂プリンスホテル
清水谷公園を散策した後、元・赤坂プリンスホテルの前を通り
ました。
此処にはかつて宿泊したこともありますし、最上階に在った
バーにも行ったことがあり、思い出深いホテルです。
バブルの頃、クリスマスになると予約でいっぱいだったことで
有名でした。
それだけ若い者にも敷居が低く、少し背伸びをすれば手が届く
価格設定だったのだと思います。
今は鉄の塀で囲まれています。
今後は取り壊されるのでしょうか?それともこれだけ立派な高層
ビルですから内装だけ変えて再利用されるのでしょう...
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2012/05/10 23:35 |
お花見 外濠公園の後 清水谷公園と大久保利通碑
弁慶橋を渡り、右手に工事中の元赤坂プリンスホテルを
見ながら清水谷公園に入ります。
公園のある辺り一帯は、江戸時代の紀伊家、井伊家の屋敷
境にあり、この境が谷であったことと、紀伊家屋敷内に霊水
(清水)が湧き出ていたことから、清水谷と呼ばれていたそうです。
清水谷公園
公園を入った正面に「贈右大臣大久保公哀悼碑」があります。
明治11年(1878)に時の参議兼内務卿の大久保利通が
この付近で暗殺されました。
同僚の政府官僚により暗殺地に近いこの地に大久保の
業績を称...
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2012/05/10 00:51 |
お花見 外濠公園の後 弁慶濠と弁慶橋
紀伊国坂を下り、左に大きくカーブすると弁慶濠が
見えてきました。
ここから水系が変わるそうです。
よく来たことのある赤坂見附交差点に出ました。
江戸城を偲ばせる橋があります。
弁慶橋
『弁慶橋(べんけい ばし)』 は、「外堀通り」 の赤坂見附
交差点から紀尾井町に向う小さな通りが外濠(弁慶濠)を
渡る橋である。
かつての江戸城南側の外濠は「四谷見附」から南回りで
「呉服橋」まで、そのほとんどが埋め立てられて道路など
に変わっているが、この「弁慶濠」だけが、唯一「濠...
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2012/05/09 10:30 |
お花見 外濠公園の後 紀伊国坂
迎賓館を過ぎて紀伊国坂を下ります。
立派なお屋敷の門が見えました。
これは迎賓館東門でした。
紀伊国坂
坂の西側に江戸時代を通じて紀州(和歌山県)徳川家の
広大な屋敷があったことから呼ばれた。
赤坂の起源とする説がある。
外堀通りを、赤坂見附交差点を過ぎたあと、弁慶堀と赤坂
御用地との間を通って、迎賓館・四谷方面へ登る坂道です。
緩やかな逆S字型になっている比較的長い坂道です。
坂上は紀之国坂交差点(三叉路)になっており、これを東方
に曲がると、喰違見附跡です。
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2012/05/08 10:12 |
お花見 外濠公園の後 迎賓館
四谷見附を過ぎて外濠跡に沿って歩くと迎賓館が
見えました。
そこだけは欧州にでも行ったような錯覚に襲われます。
迎賓館
迎賓館は、外国の元首や首相などの賓客に対して、宿泊
その他の接遇を行うために設けられた国の施設です。
賓客の滞在中は、首脳会談、表敬訪問、署名式、レセプション
や晩餐会など様々な外交活動が行われ、これらの接遇を
通じて、迎賓館はその国との間の相互理解や友好促進に
大きな役割を果たしています。
〔参考:「内閣府ホームページ」より〕
東京の元赤坂にあ...
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2012/05/07 13:54 |
お花見 外濠公園の終わり、四谷見附
外濠公園終ります。四谷見附に着きました。
桜の花も此処で終わりです。
四谷見附にも石垣が残っています。
四谷見附
江戸城の門は敵の進入を発見する施設のため見附
と呼ばれた。
見附は枡形を有する城門で、城の外郭に位置し、外敵
の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のため
の城門のことある。
そこには警備のために見張りの番兵を置いていた。
赤坂見附、日比谷見附、牛込見附、市谷見附、四谷見附
などで外濠沿いに36見附があったとされている。
四谷見附跡は四ッ谷駅のす...
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2012/05/05 22:26 |
お花見 外濠公園の中間 市ヶ谷御門
外濠公園のほぼ中間地点、市ヶ谷に着きました。
JR市ヶ谷駅の傍に「市ヶ谷御門橋台の石垣石」という
説明板が石垣と共に在りました。
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2012/05/04 22:18 |
いよいよお花見 外濠公園
外濠公園に入り、お花見の開始です。
お花見散歩する人通りも増え、夜の宴会に向けて場所取りの
サラリーマンの姿も。
お酒はなくても、もう宴会を始めている女子会の方々も居ました。
公園の桜も綺麗、濠端の桜もお濠やJR総武線の車両とマッチ
して綺麗でした。
外濠公園
外濠公園は、外濠である牛込濠・新見附濠・市ヶ谷濠に沿うように
位置し、JR飯田橋駅から市ヶ谷駅、四ツ谷駅まで約2kmに渡ります。
外濠公園には、ソメイヨシノやヤマザクラなど約240本の桜があり、
公園が車道か...
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2012/05/03 22:20 |
いよいよお花見 牛込橋からスタート
さあやっと小石川から牛込橋まで来ました。
お花見の開始です。人通りも増えてきました。
牛込見附が見えます。
ここは枡形門が在った名残が残っていました。
牛込橋と牛込見附跡
牛込橋は千代田区富士見二丁目から新宿区の神楽坂
に通じている早稲田通りに架かっています。
この橋は牛込見附門とともに寛永13年(1636)阿波徳島
藩主蜂須賀忠英(はちすかただてる)によって建設された
橋で当時千代田区側は番町方、新宿区側は牛込方と呼ば
れ、旗本屋敷が並び、その間は深い谷だったのを...
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2012/05/02 23:34 |
萩の舎跡
昨日からの続きです。まだ小石川を歩いています。
安藤坂を下っていると、「萩の舎跡」の説明板が在りました。
萩の舎跡
中島歌子の歌塾『萩の舎』は、伝通院前の安藤坂の途中
にあったといわれるが、現在跡地にはマンションが建ち
面影を残す物は無い。
この塾には、多くの名家から和歌を習う師弟が通うとともに、
樋口一葉もここで和歌・書道(千蔭流)・古典を学び、
佐佐木信綱にして田辺竜子、伊藤夏子らとともに
”萩の舎の三才媛”とも呼ばれた。
〔参考:サイト「樋口一葉コレクション」...
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2012/05/02 00:49 |
伝通院から真っつぐ下る安藤坂
伝通院から飯田橋・神田川に向かって、広い坂が真っ直ぐ
伸びています。
安藤坂と言います。
この場所、意外に都内の隠れたお散歩スポットといえそうです。
もう一度、ゆっくり歩きたいですね。
安藤坂
比較的長い坂で、 江戸時代から道幅が広く、傾斜も現在
よりも急でしたが、 明治42年(1929)に路面電車を通すに
あたり緩やかにされました。
標識によると坂の名は、 坂の西側に安藤飛騨守(紀州藩家老)
の上屋敷があったことに因んで戦前は「安藤殿坂」、戦後になって
「安藤坂」...
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2012/05/01 11:43 |